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屋久島の縄文杉を求めて vol.6
制作課の梶田です。 そろそろ暖かくなってきたので、屋久島に行った話しの続きでもしたいと思います。 何時行ったっけ・・・。 前回はおっこと主様に食べられそうになった所まで書きましたが、今回はその続きです。 ヘロヘロになりながらも先へ進んでいると、おててを繋いだ杉が見えてきました。 この杉は夫婦杉というらしいので、奥様と一緒に記念撮影・・・。 後から気が付いたのですが、奥様のカメラがいつからかISO25600という超高感度設定になっておりました。なので記念撮影の写真は非常にノイジーな仕上がりとなっておりますが、それもまた旅の楽しみということで・・・。とにかく歩くだけで精一杯なのでカメラの設定が変わっていてもヘロヘロで気がつかず・・・。スタートから4時間ほど歩いてお昼も近くなってきたという事で休憩&昼食タイムです。 休憩場所には木のベンチ?台?のようなものがあり、そこへ座ってお弁当を食べます。当然雨で濡れているのですが、ガイドさんがレジャーマットを30cm四方くらいにカットした簡易座布団を携行してくれていたので、それに座らせてもらい美味しくお弁当を食べました。長い間座っていると足が動かなくなるのではないかと思い、テニス選手の休憩中みたいに足をバタバタさせながら(ただの貧乏ゆすり)モグモグしました。 バタバタモグモグ バタバタモグモグ バタモグバタモグ バタモグバタモグ バターン!! 先を急ぎましょう。 休憩を終えしばらく歩いていると、スゴく大きな杉が見えてきました。 今まで見てきた杉も立派なものだったのですが、この杉は明らかにスケールが違います。 デカ過ぎてファインダーに収まりません。スゴく大きな杉なので「スゲー杉」と呼ばせてもらうことにします。おそらくこのスゲー杉について書かれたであろうwikipediaのページがあったので引用します。
縄文杉は、鹿児島県熊毛郡屋久島町(屋久島)に自生する最大級の屋久杉。種の名称ではなく、植物の個体に付された名である。屋久杉を代表する古木として著名である。世界遺産「屋久島」に包含される。 1966年、屋久町役場の観光課長だった岩川貞次により発見され広く紹介される。発見当初は大岩杉と呼ばれていた。「縄文杉」という名前の由来は、当時推定された樹齢が4,000年以上で縄文時代から生きていることから来たという説と、奔放にうねる幹の造形が縄文土器に似ているからという説がある。 1976年、九州大学工学部の真鍋大覚助教授により、周囲の樹木の年輪測定、幹周の大きさなどから、樹齢7,000年以上と推定され話題になった。しかし、その後の調査で古木の周囲を3本程度の若い木が融合して包み込んでいる合体木である可能性が浮上し、外側の若い木の部分の年代測定では樹齢約2,700年と判定された(芯部の古木は樹体保護のため未調査)。ただし、鹿児島大学農学部が縄文杉のパーオキシダーゼをアイソザイム分析した結果、縄文杉は合体木ではなく一つの木であることが証明されている。また、調査によって倒木更新の痕跡も発見されている。 また約7,300年前に鬼界カルデラから広がった幸屋火砕流によって、屋久島を含む九州南部諸島の大型植物は全滅したと考えられており、縄文杉の樹齢は古くとも4,000年以上はさかのぼらないとするのが定説になっている。一方で、後代に持ち込まれた記録の無いヤクシマザルなどの大型動物が現存していることから、屋久島全体が火砕流に飲み込まれたのではなく一部の動植物は生き延びたのではないかとする意見もある。 縄文杉を見るためには8-10時間程の登山を行う必要があるが、保護のため十数メートル離れた木製のデッキから鑑賞しなければならず、杉の周りには立ち入ることはできない。
wikipediaより抜粋
とまぁ、難しい漢字が読めないので何を書いてあるのかよくわかりませんでしたが、スゲー杉だということは伝わってきます。スゲー杉前のデッキでは皆、一心不乱に記念撮影をしています。周りにつられてミーハーな我々もスゲー杉前で記念撮影しとこうという事になりパシャリ。 かなりヘロヘロでガイドさんに言われるがまま記念撮影・・・。現在のデッキも数ヶ月後には取り壊しが決まっているらしく、新しいデッキは更に離れた位置になるということです。いやぁ、本当にスゲー杉でした。対峙しているだけでものすごいパワーを貰えた気がします。(気のせいです) スゲー杉のイベントが終了したら、何故か皆そそくさと来た道を引き返し始めます。今回の旅のメインである「ジョウモンスギ」はこのスゲー杉よりもっともっとスゲーんだろうなと想像しながら梶田も来た道を引き返します。 ・・・・・ん!? 「ジョウモンスギ」どこにあるのでしょう・・・。 vol7へつづく・・・(←移動します)